まち歩きレポート

2013/011/17第2回千住いえまち主催まち歩き

最高気温17度、歩いていると少し汗ばむくらいでしたが、まち歩き日和のなか第2回「まち歩き」が11月17日行われました。

千住大橋駅改札に12:50集合

今回の集合場所は京成電鉄 千住大橋駅(受付12:30~12:50)。
残念ながら、体調を崩されたり急な予定が入ったりなど数名のキャンセルの方がおられましたが、小さなお子様も含めて多くの方にご参加頂きました。
まず、千住大橋駅の改札前にて、簡単な注意事項の確認の後、今回もインカムを付けて早速出発です。
前回(2013/05/26)は主に千住3丁目から5丁目と宿場の中でも北側のエリアを歩きましたが、今回は前回歩けなかった南側に目を向けて、当時掃部宿(かもんじゅく)といわれたエリアを中止にして千住大橋から千住2丁目までを広くまわるルートです。ちょっと欲張りすぎて広いエリアを予定していますが、時間をみながら無理をせずに、場合によってはルート変更もありますと説明をさせて頂きました。

橋戸稲荷神社。奥に見えるのが伊豆の長八の鏝絵がある本殿

千住大橋駅周辺は現在大規模な再開発が行われているエリアです。もとは皮革関係の工場などがあった広大な敷地が大型の商業施設・高層の集合住宅を中心に変わろうとしています。
そんな現場を横に見ながら、「石洞美術館(せきどうびじゅつかん)」の前を通り、「橋戸町稲荷神社(はしどちょういなりじんじゃ)」へ向かいます。
橋戸町稲荷神社は伊豆の長八(ちょうはち)の鏝絵(こてえ)が扉の裏にある本殿が見ものです。年3回(節分、5月のお祭り、9月の大祭)の御開帳があり実物を見る事ができます。通常は拝殿のレプリカを拝見させて頂くことになりますが、このレプリカも、1998年に鏝絵を修復した、直系の愛弟子により創られた由緒正しいものです。神社を後にして千住大橋に向かいます。

長八の直系の弟子による鏝絵のレプリカ。

千住大橋北詰、大橋公園で奥の細道における芭蕉の足跡を確認し、河岸におりて「千住大橋橋詰テラス」へ。木造橋の時代の木杭の話に触れながら、大橋の下にかかっている千住小橋を渡りここから北上していきます。

千住宿歴史プチテラス内部。

現在の国道4号線、昭和2年に鉄橋となった千住大橋、荒川放水路の話に触れながら、千住市場の前を通り、矢立初(やたてはじめ)の芭蕉像がある「千住奥の細道プチテラス」へ。「やっちゃ場」のせり場に敷かれていた御影石の話、芭蕉像建立に関わられた千住文化普及会の櫟いち原はら氏の思いなどについての話をさせていただき、旧道を北上し、「千住宿歴史プチテラス」へ。こちらは千住4丁目の横山家の内蔵を移築してギャラリーとして利用しているものです。その前で、これからお話を伺う河原町の岡本さんが待っていて下さいました。ギャラリーの中を通り抜け、裏の庭より岡本さんのお宅の蔵のお話もお聞きしてから、旧道に出て、やっちゃ場の話をお聞きします。

千住河原町の岡本さんにやっちゃ場の話を伺いました

当時の、各問屋の前に敷石が敷かれて、せりが行われ、大八車と人でゴッタ返している写真には皆が驚いていました。このように直接地元の方にお話を伺えるのは、とても貴重な経験です。岡本さんにお礼を言い、旧道をさらに北上したいところですが、ここで大師道に進みます。ほどなく「河原町稲荷神社」へ。やっちゃ場の鎮守としてあるこの河原町稲荷神社には、やっちゃ場で働く男たちの力自慢を示す通称「千貫神輿(せんがんみこし)」があります。宮司さまに解説をしていただきながら皆で実物を見ました。実際には千貫無いとのことでしたが、およそ2tのお神輿は十分に迫力のあるものでした。

河原町稲荷神社の宮司様に話を伺いながら千貫神輿を見学

煉瓦蔵さらに大師道を進み墨堤通りを東に折れて進みます。少し歩くと、煉瓦の蔵が見えます。千住には煉瓦の遺構が多い事、それは舟運(しゅううん)の利便と煉瓦に適した土が採れた事により隅田川周辺に多くのレンガ工場があった事と関係がある事などの話をさせて頂き、その煉瓦蔵の外観を見学しました。車で通ると通過してしまう道も少し入るとまだこのような蔵が残っています。参加者の皆さんも驚かれたようです。

墨堤通りに戻り仲町方面へ、仲町公園では皆さんに飴のお土産をプレゼント。千住3丁目の「石黒のあめ」のミックスの小袋を一人一袋づつお配りしました。調達してきた、いえまちのなかださんより石黒のあめの説明を聞きながら、ほんの少しの休憩です。
掃部宿という名の由来となっている石出家で現在はデイケアサービスセンターとして使われているお宅の門に残された戦災の傷を見て旧道に戻り、北上します。仲町の当時の繁栄に思いを馳せながら進んでいきます。現在も「若田薬局」さんと「鮒与(ふなよ)」さんの二軒の蔵が並んでいるのを脇の道から見ました。ここではいえまちの佐野さんが手づくりのパネルを出して、昭和20年4月13日の空襲直後にこの二棟の蔵だけが残って一面焼け野原となっていた惨状を説明。これには参加者の皆さんも声を失っていました。

2棟並んでいる若田薬局(右)と鮒与(左)の蔵 昭和20年4月の空襲直後の写真を手に説明

路地を抜け、国道4号線を渡り「千住神社」へ向かいます。途中、千住の特徴の一つといえる銭湯の前を通ります。「旭湯」です。千住近郊には最盛期36軒もの銭湯があったこと、千住(東京)の銭湯に見られる宮作りや壁のペンキ絵などの話をしながら通り過ぎ、千住神社へ到着。社殿の方に進み、富士塚を見ます。当時の富士講などの話をして神社を出発します。次の目的地「NTT足立電話局」までの間は、旧東京市千住町時代のマンホールが見れる路地を通ります。第2回まち歩きの企画が検討された当初から、ルートに入れたいと推していた佐野さんより解説。道路にも歴史を繋ぐものが残っているのです。

旭湯。営業中につき内部見学は断念しました。残念。 現存する千住町時代のマンホール

現存する近代建築としても大変価値の高いNTT足立電話局。当時流行したスクラッチタイル、アールのついたデザインが中庭を通って裏まで連続しているところを見て頂き、「勝専寺(赤門寺)」に向かいます。こちらは、千住という名の由来の一つとされる千手観音が安置されており、前回のまち歩きで特別に拝観させて頂きました。徳川家との繋がりにも触れて千住2丁目方面へ。

NTT足立電話局
ハノイハノイの店主の方にお話を伺いました

ここからはこれまでの歴史的な側面だけでなく、現代の千住編として、古い建物をリノベーションして素敵なお店を展開されている中で「いえまちMAP」にも取材等でご協力頂いた何軒かを廻りました。お休みのところもありましたし、営業中のところも皆で中に入れていただくには大人数でしたので、外観を通りすぎ少し説明させて頂く程度とさせていただきましたが、その中でいえまちMAP・VOL1の表紙にもなっている「ハノイハノイ」さんでは店主の方にお話を伺いました。思っていたより日当りも風通しも良く、心地良いようでお客さんも長居される方が多いとお聞きしました。靴を脱いで上がる2階などは、本当に気心知しれた友人の家に上がり込んで楽しく食事をしているような気分にさせてくれます。

他にも触れさせていただかなければならない事がまだあります。門だけはご覧になられている方も多いと思われる千住2丁目の「岡田家」の蔵。今回は、敷地に入れて頂き拝見する事ができました。当主の岡田様より2001年の蔵の補修に際しての左官屋さんとの話など貴重な話を直接伺う事ができました。岡田さんの敷地に入れて頂くと伝馬屋敷の地割りが現在でも確認できます。参加者の皆さんもその細く長い敷地の使い方に驚かれているようでした。

2001年に補修された岡田家の蔵 千住2丁目 岡田家の蔵の前で岡田さんにお話を伺いました

時間もそろそろタイムリミットです。少し寒くなってきましたがゴールの「問屋場跡(といやばあと)」(現 東京芸術センター前広場)へ向かいます。千住が宿場町として機能ていた頃、「問屋場」は宿場の事務を取りまとめる役割を担っていたこと、当時は人足と馬を用意する事が義務付けられており、「貫目改所(かんめあらためじょ)」には荷物の重量検査の為の秤が用意されていたこと、などのお話しをさせていただいたところで時間は既に4時になっておりました。

担当者が検討しているうちについ欲張りになってしまい、行きたい範囲が広くなり、参加頂いた皆さまにも長い行程のまち歩きをご一緒して頂く事になりました。この場をお借りしまして、多少の無理があった事をお詫びいたします。 皆さまにとって、何か新しい発見をして頂ける楽しいまち歩きとなっておりましたら、いえまちスタッフ一同、嬉しい限りです。来年のまち歩きにもご期待下さい。

(千住いえまちメンバー / 宮島 亨)

参加者みんなでの記念撮影。(千住宿歴史プチテラスにて)